私はモノが大好きです。
家に帰れば、幼い頃から大事にしているタオルケットである「ターちゃん」が私のベッドの上で待っています。
妹は「きったない」と言いますが、何度も洗濯をしているので、綺麗に保てています。
このタオルケットは私にとって、思い出や安心感を与えてくれる、私の大切な相棒です。
そして、私にとって洋服も同じく大切なモノの1つです。
洋服は私をより良く見せ、自信を与えてくれます。
それはまるで私を「拡張」してくれるような感覚です。
私にとって、洋服はただのモノではなく、私自身を表現する方法の1つであり、自己実現につながるものです。
妹にとって、古くてボロボロになった布切れも大切な存在であり、私には寝つきの悪かった幼少期から見守ってくれた親友でした。
かつて、私はベッドにたくさんのぬいぐるみを並べていましたが、その中でも特に愛着のあったダックスフンドを留学前に捨ててしまったことに、今でも後悔しています。
私にとって、洋服は非常に特別なものです。
ウェストをしめた細身のライン、美しく心躍るカラーリング、凝ったレースのデザインなど、その洋服の中に自分を“拡張”させる快感を感じます。
洋服を着るとき、試着室から出て鏡を見た瞬間、私は自分自身を超えた、より美しく強い存在になったような気がします。
洋服を買うことは、自分自身を手に入れること以外になく、その欲求が私にとって執着を生み出しているのです。
自分の可能性を広げ始めたのに、その可能性を手放せないのです。
私が自分の部屋に閉じこもってから30分後、妹は「悪かった」と言いました。
しかし、妹よ、あなたがそれを理解してくれる必要はないのです。
それは、私たちにとって単なるモノではなく、自己表現の手段であり、愛着を持っているのです。
物を捨てるのがイヤなんじゃなくて、捨てられない人々にとって、物は愛着と深い意味を持ち、仕舞われた分身たちを見ることはつらいことなのです。
そこで、私も「悪かった」と謝り、その週末に大きなビニール袋4つを一杯にしました。
整理していたら、細身のワンピースが出てきました。
このワンピースは、オレンジとブルーの2色展開があったのですが、私は約3年前にブルーの方を着ようとしたところ、貯えていた贅肉が耐えられず、裂けてしまいました。
同じくオレンジの方も同じ運命をたどり、この2つのワンピースは同じ型だけど、私の体が大きくなって着られなくなった証拠となりました。
このワンピースは、留学前に購入するか悩んでいた時に、日本にいた友人に頼んで購入してもらい、お気に入りの逸品なのです。
妹には、「これだけは捨てないで」と、懇願したら、4袋に詰められた服と一緒に、一定期間、部屋に置いといてもいいことになりました。
現在私は、この4つの袋からまだ着用可能な服をクローゼットに戻すことを望みながら、心理的な闘いを繰り広げています。
しかしながら、自信をもって言えます。
私が持つこの執着や愛着が理解されるならば、私は自らが所有するモノからも勇気をもって手放すことができるのです。
私の妹のポリシーとして、1年以上使用していないモノは不要なモノであると考えています。妹は「これは相当長い間使用しておらず、いい加減処分しなければ」と言いながら、紙束を豪快に破っていました。
中身をちらりと覗いたところ、契約書のようでした。
ところが、契約書は普段使用するものではありませんが、いざというときに必要になった場合に備えて保管しておくことが大切だと思いませんか?